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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第37回 モノマフ、ムスチスラフによる年代記の編纂

 年代記の政治的宗教的意味を確かに把握していたウラジーミル・モノマフは、即位早々に年代記の新しい編集本の作成を命じた。前大公スヴャトポルク二世の時代にキエフ・ペチェルスキー修道院の修道士ネストルによって『原初年代記』が編纂されていたが(第一編集本)、モノマフは、ネストルがスヴャトポルクのおかかえの年代記作者であったために、『原初年代記』の中でスヴャトポルクの活動とその人格が極めて過大に評価されたと考えたのである。モノマフの指示に従って、年代記の編纂がペチェルスキー修道院からミハイル-ヴィドゥビツキー修道院へ引き渡され、そこの修道院長であり、モノマフの側近のひとりでもあったシリヴェストルにその仕事がゆだねられた。新たな年代記の礎にはやはり同じく『原初年代記』が置かれたが、スヴャトポルク二世に対する好意的な評価はかなり控えめなものとなり、反対にフセヴォロド家の功績は補足をともなって強調されることになった。これは1116年に完了した(第二編集本)。しかしながら、この第二編集本はモノマフの承認を得られず、年代記編纂の仕事は長男ムスチスラフの下で続けられることとなる。1118年にシリヴェストルの年代記集成は完成し、ようやくモノマフの承認を得た(第三編集本)。その後、この年代記は、『原初年代記』の作者の名を取って『ネストル年代記』と言われるようになる。

 『原初年代記』改作のエピソードに対する歴史家の見解は様々である。たとえば、B. A. ルィバコフは、『原初年代記』への補足と修正の挿入に伴って、ルーシの初期の歴史に明らかな捏造が加えられたと主張している。彼はそのように考える理由として、ルーシの机上の知識人たちが自分たちの国の歴史を語りながら、オレーグにもリューリックにも言及しておらず、彼らを根拠のないエピソード的な人物とみなしていることを挙げている。

 ムスチスラフは当時の政治状況に立脚して、ネストルの年代記の序文を根本的に書き換えた。彼は、ルーシ国家の起源が書き込まれていた多くの部分を以前のテクストから削除した。その代わりに、北ヨーロッパに広まっていた叙事詩と物語を利用して、スラヴ人によるヴァリャーグ人の公の招致についての伝説を年代記に書き入れたのである。

 ヴァリャーグ人に統治してもらうよう自発的に彼らを招致した伝説を創作した政治的な意味は、次のような点にあった。すなわち、暴動が始まってからキエフ人によってウラジーミル・モノマフが呼ばれたのは、年長制の権利のためではなく、民会の承認に基づいたキエフの貴族の選択によってであったという事実に、歴史的正当性を付与するのが狙いだったのである。リューリックの招致伝説は、正確にこの状況を再現したことになる――北スラヴ人は公なしではうまく生活していくことができないという…。

 それに加えて、ネストルの年代記(第一編集本)はルーシの歴史のまさに最初からキエフを第一の座位に置いていたのであり、ヴァリャーグ人に否定的な特徴を付していた。この年代記は、ノヴゴロドを北ルーシの小さな外国商人居留地という非常につつましい位置にしかすえていなかったのであり、当然の如く、ノヴゴロドで20年以上を過ごし、幾つかのヴァリャーグ人の王家とも親戚関係にあったモノマフや彼の息子に気に入るはずもなかったのである。

 次回は「モノマフの子、ムスチスラフ」。乞うご期待!!

(大山・川西)



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