ロシアの菜園付きセカンドハウス「ダーチャ」

ダーチャについて

ハバロフスクダーチャ協会  ロシアは、貧しいようでもあり、豊かなようでもあり、日本人の感覚からすると不思議な国です。
 その“不思議”を解く一つの鍵が“ロシアのダーチャ”なのです。
 なにしろ、ロシア全土の殆どの野菜、果物を作り出してしまうのですから。
 別荘と訳されていますが、日本の市民農園、ドイツのクラインガルテンに近いもので、サンクトペテルブルグ建都前後からロシアにおいて独特の発達を遂げた制度なのです。
 現在の大衆的ダーチャは、10月革命での公約(農地の再分配)を反故にしたスターリンの土地政策(集団農場化―コルホーズ、ソフホーズ―による、自営農民の賃金労働者化)に対する代償的な意味を持った、自留地がその起源になります。

 1997年の統計データによりますと、ロシア全体では2,200万世帯がダーチャを所有し、その総面積はおよそ182万ヘクタールです。
 ジャガイモの90%、果物の77%、野菜の73%はダーチャでつくられています。
 当協会と関係の深い、ハバロフスク地方では、21万世帯がダーチャを所有し、年間で見ますと、ジャガイモ10万トン、野菜5万トン、イチゴ類2万トンを作っています。これだけの生産力があれば取り敢えず、給料が安く、遅配勝ちでも“食べて”いくことはできます。
 ソ連邦崩壊時には給料が半年、一年も遅配しましたが、市民が飢え死にしたという話はありませんでした。
 日本だったら大変なことになっています。

 ダーチャについてこんな話があります。
「地球を預言者に告げられた破局から救ったのは、ダーチャで働いている人たちです。その人たちは、機械を使わず、小さな菜園を自分の手で耕しています。日々、人の手で、地球に丁寧に触れ、愛を注いでいます。地球はとても大きいですが、優しさにも残酷さにもとても敏感です。ダーチャの人たちの何百、何千、何万人の暖かく思いやりのある手を感じた地球は最後の破局を思いとどめた、のです。」
 ペレストロイカの頃か、その後のロシアの混乱時に出来た話でしょうか。

 当協会では、ハバロフスクダーチャ協会(「ハバロフスクダーチャ運動」を主宰)との協力関係を樹立し、草の根の日ロ交流を企画しました。
 ダーチャを通じて“不思議なロシア”をより深く理解する契機になればと思っています。

ハバロフスクのダーチャ運動  ハバロフスクのダーチャ運動

書籍「ハバロフスクのダーチャ運動」表紙