バルト諸国縦断旅行記
第1回「フィンランド・ヘルシンキで感じるロシア」
かつての旧ソ連の共和国、現在はEU加盟国として発展を遂げているバルトの国々。2012年9月、エストニア、ラトビア、リトアニアの3カ国に加え、フィンランドとロシア領カリーニングラード州を含めて旅行してきました。各地域を連続的に見ることで、それぞれの国の特徴や共通点をよりはっきりと感じることができましたので、これから何回かに分けてお伝えしたいと思います。
日本を離れて最初に訪れたのは、フィンランドの首都ヘルシンキ。
成田から飛行機で9時間半、「日本から一番近いヨーロッパ」というキャッチフレーズで、欧州への乗り継ぎ地として日本人旅行者からの人気も高い都市です。余談ですが、ロシアのウラジオストクとサハリンも全く同じフレーズで語られているあたり、ユーラシア大陸にまたがるロシアの広大さを象徴しているように思います。
さて、フィンランドは長きにわたりスウェーデンの支配下にありましたが、19世紀初頭に時のロシア皇帝・アレクサンドル1世がスウェーデンとの戦いに勝利したことでロシア帝国領となり、以後、1917年のロシア革命に際して独立するまで、同帝国内の立憲君主国として発展してきたという歴史があります。
写真はロシア帝国時代に建立された正教会のウスペンスキー大聖堂です。スラブ・ビザンチン様式の教会とのことですが、赤レンガ造りの外観のおかげか、どこか西欧的な雰囲気も感じます。現在ではルター派プロテスタントのヘルシンキ大聖堂と並び、ヘルシンキのランドマーク的な存在となっています。
ヘルシンキはロシア第二の都市サンクトペテルブルクから車や電車で6時間という近さから、ロシア人の訪問者も少なくありません。週末で行って帰ってこれる手軽な観光・買い物スポットとして人気を集めているようです。また逆にサンクトペテルブルクに来るフィンランド人も多く、フェリーを利用した72時間以内滞在のクルーズツアーならばビザも不要という手軽さも手伝ってか、特に夏季には街のあちこちでフィンランドからの観光客の姿を見かけます。最近では2010年にヘルシンキ~サンクトペテルブルク間を3時間半で結ぶ特急列車が運行を開始したことで、両都市の往来はますます活発になっています。
ところで、ヘルシンキはロシアへの玄関口であると同時に、エストニアの首都タリンまで、バルト海をはさんで高速船でわずか1時間半という距離に位置する「バルト諸国への玄関口」でもあります。次回はエストニアについてお伝えいたします。
(桜井)
報告会&上映会「タイガの森フォーラムのこれまでとこれから」
9月10日 於:東京・神楽サロン
「タイガの森フォーラム」は、国際環境NGO・FoE Japanを核とし、タイガの森を将来に残すことを目的に2009年設立された。機関紙の表紙にアムールトラの写真を提供してくれた団体でもある。昨年秋に、アムール川の支流でもあるビキン川流域に居住する先住民族ウデヘの人々を記録した「タイガからのメッセージ」を完成させ、各地で上映活動を行っている。今回のイベントでは、上映会ならびにコラボレーションを組む「銀座ミツバチプロジェクト」代表とのディスカッションが主なプログラムだった。
映画「タイガからのメッセージ」は、ウデヘの人々がタイガから受けてきた恵みや伝統的生活様式を紹介し、タイガを伐採の危機からどのように守ってきたかを中心に、ビキン川流域を世界遺産に登録しようという動きを伝える。それと同時に、ウデヘの人たちが直面する就業問題や廃棄物処理問題なども織り込んだ最新の記録映画といえる。撮影中、東日本大震災と原発事故が発生したために、日本人として保護活動にどのようにかかわっていくかという新たな視点も投影され、ラストがいささか散漫になったきらいがある。とはいえ、ロシアのタイガは日本海の漁場を育て、日本の自然環境にも大きな影響をもたらすという観点に立てば、日本人にとって他人事ではすまされない問題でもある。
フォーラムでは、タイガの森を維持しつつウデヘの人々の生活向上を支えるための、新しい「ツーリズム」と「東洋ミツバチ飼育」のプロジェクトを紹介。いずれもビキン川流域の自然保護を第一に、先住民族がタイガの恵みを受けながら暮らしていくことを念頭においたもので、これからの自然保護活動の先進的なモデルになるだろう。
神奈川県連でもハバロフスク旅行を毎年行っているだけに、今後はこうした団体との知恵も借りながら新しい可能性を探ってみてはどうだろうか。
(滝沢/写真提供:タイガの森フォーラム)