2010年8月号(通算586号) バックナンバー |
今月の表紙 体操JAPAN CUP 2010 アンナ・デメンティエワ選手 |
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行事予定◆ 終戦65年「8・15」特別企画 映画「不毛地帯」出演者挨拶・鑑賞会
2010年8月29日(日)10:00~
2005年8月に「きけ、わだつみの声」の出演者、河崎保さんを招き講演と映画の会を行い、参加者のご好評を頂き、10月にはアンコールの講演と映画の会を行いました。
「あなた方関東軍司令部は、何故軍関係家族を先に避難させて、我々在留一般邦人を後回しにしたんですか」 このシーンに出演し、この台詞を主人公に詰問した河崎保さんを招き、「8・15」を考える集いとして、映画「不毛地帯」(山崎豊子原作、山本薩夫監督作品、1976年)の鑑賞会を企画しました。 映画自体は1976年に製作され、主人公仲代達矢以外の出演者はほとんどこの世を去っています。河崎保さんは本当に貴重な存命者です。その河崎さんの挨拶の後に、映画を上映します。日本ユーラシア協会ならではの企画です。 是非、お誘い合わせの上ご参加下さい。 ◆ マトリョミン教室2010前期発表会
(主催・みなとみらいマトリョミン教室)
プログラム: 後援:NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会 ◆ クリミア半島の歴史と風景
2010年9月26日(日)14:00~ ロシア語教室講師・小野ダリヤ先生が、出身地クリミア半島の歴史を生きた言葉で語り、地元の人しか知らない名所・旧跡をご紹介します。サモワールで点てたお茶を飲みながら、楽しい時間を過ごしましょう。 ◆ 第12回大自然とハバロフスク市民交流の旅 事後交流会
日程:2010年9月23日(木・祝) ◆ 横浜国際フェスタ ボランティア募集
日程:2010年10月16日(土)、17日(日)
お申し込み・お問い合わせ:協会事務局 活動報告◆ 第12回大自然とハバロフスク市民交流の旅
2010年7月28日(水)~8月2日(月) 教室案内◆ ロシア語能力検定試験対策講座
毎年10月に行われるロシア語能力検定試験に備え、今年も対策講座を行うことになりました。 ◆ 秋の特別講座「ロシア文化への旅」
日本でロシアに行った気分を味わいながら、ロシアの文化を学んでみませんか。 ◆ 第112期ロシア語教室 生徒募集中!
入門、初級、中級、上級、会話 毎週月曜日~土曜日、各コース全15回(一部全17回のクラスあり)。
お申し込み・お問い合わせ: ◆ 日本語教室 Курсы японского языка 生徒募集中!!一時、全体の生徒数は1名でしたが、6月に1名、7月に3名の新しい生徒が入りました(うち1名は休学中)。早く日本での生活や日本語に慣れて上達するといいですね。
月曜~金曜、10:00~17:00の間、1コマ90分。 ◆ ロシア民族楽器 「バラライカ」「ドムラ」教室 中途入学も歓迎!
毎月2回、土曜日開講 ◆ みなとみらいマトリョミン教室8月29日(日)には受講生全員による発表会がございますので、ご興味のある方はぜひ聴きにいらしてください。見学・体験レッスンも随時受付しております。
お問い合わせ・お申し込み:minatomirai_matoryomin@yahoo.co.jp 組織・財政◆ 組織状況
(2009年7月31日現在) ◆ 財政状況現在の財政規模は予算対比98%の遂行率であり、達成までいま一歩です。
概 況
前年同期に比べ収入総額で20.3%増、一般事業が予算の40%を超え43%と順調な伸び率を示しています。赤字幅は682,265円の減です。 (柴田) ユーラシア文化◆ NHK大河ドラマ「坂の上の雲」について(8)5軒の家作が14箱の煙草に!この超インフレ対策が1945年末から政府と占領軍によって検討された。これは日銀券を新券に切り替え、旧券を強制預金させ、新円による預貯金の払出しを制限するという方法であった。 封鎖預金からの新円払戻月額は1946年4月1日以降一人100円、当時の標準世帯が夫婦と子ども3人であることから「500円生活」と言われた。食費が月額237円、一日一人当り米2合1勺の配給、最低カロリー確保、が計算基準であった。 市民が戦前に持っていた現金資産、債券は無価値同然になった。私の父は戦前の国債を1,000円持っていた。父の話では「これだけのカネがあれば家作(貸家)が5軒建てられた」そうである。封鎖預金から払い戻した昭和46年には煙草ピース10本入りが7円であったから、父の国債は政府によって5軒の家作から140本の煙草に化けさせられてしまったのである(涙)。 (柴田 順吉) ◆ The Story Seriesメンタルホスピタルへの手紙(縮約版)
スレイマン・ジャブライロフ 作 親愛なる友人よ。君も知っての通り、僕達が入院している精神病院でドクター会議が行われ、そこで僕の「回復に向けた良識ある行動、勇敢な意志と努力」が評価され、病院外で3週間自由に過ごすことが許された。以前から約束していた通り、これから体験する外の世界の様子を毎日手紙にして、君に知らせるつもりだ。ドクター会議で全会一致決定が下され、普段から無愛想で無口な僕達の主治医は、今回の試験的実施が当病院だけでなく、他関連施設の患者にとっても実際社会復帰の基盤となる可能性を訴え、「社会の立派な一員として町で過ごすこのリハビリ期間は、患者に良い影響を及ぼし、日常生活への復帰のプロセスを加速させる」と、補足した。君が僕を応援していることも病室仲間が外の世界に強い関心を抱いていることも十分承知なので、病院からもらった貴重な経費を使って、君に外での様子を綴った手紙を定期的に送る義務があると考えている。その手紙で、君と仲間達が病室の外で起こる動揺の激しい生活に、大いに公平な見解を持ってくれることを期待する。 2日目陽気で暖かい日のことであった。入院していた時の習慣で明け方に目が覚めると、心地よいホテルの窓からちょうど手を伸ばしたところに高層ビルが建っていた。特別な楽しみの1つである日の出を見ることができず少々動揺した。しかし、悲しみの尾を引く程でもない。僕には新たな印象、感覚、そして発見の1日を授かっており、日の出鑑賞の楽しみは後にとっておくことにした。 洗顔を済ませ、我らが看護婦フルちゃんが自分に用意したジーンズ、シャツ、セーターに着替えた。病院のパジャマに慣れてしまっている僕にとって、これらがいかにフィットしないか君に分るだろうか。ホテルで朝食をとり、街に出た。平日の早朝だというのに、始発電車は通勤客でやや混雑していた。そういえば、風俗、ギャンブル中毒で最近入院してきたばかりのヤスさんの話によれば、だいぶ街の様子が変化したそうなので、僕は見てみたかった。 僕達の住宅地域周辺がどんなに変化したか、簡単には語れない。ガラスが大部分を占めてできた高層ビルは互いに密集しており、あたかも太陽光をめぐって争う熱帯雨林の木のように他の建造物と張り合っている。名前や数の覚えにくい電車、地下鉄路線が蛇行し、この地が大きな結び目となって絡み合っている。ここでは、様々な年齢、タイプの人々がごった返し、群衆のざわめきと駅の構内放送が止まない。外から丸見えの建築が多いことから、以前と異なり現在は「ルック・アット・ミー」思考の人々が多数派になっていると考えてしまう。というのも、下着屋で商品を選ぶ客の趣味、レストラン愛好家の食べ物の好み、美容院で念入りにセットされた客の派手な髪型が筒抜けになる建築があちこちにある。人々のファッションに対する感覚も変化した。着る人自身の個性よりも、むしろ着る服に全ての注意が注がれてしまう程洗練されたものになっている。しかし、市民は依然、自身の運勢に興味を持ったままだ。ラウンジや廊下では、占い師や預言者の姿が目につき、彼らは、運勢を信じて止まない客の掌に暗号化されたそれを謎解きするのに忙しい。駅近くの客で賑う憩いの場所では、多くの興味深いものを見聞できる。この場所を完全に知り尽くすには恐らく1日でも足りないというのに、僕はもうお昼過ぎにはうんざりし、へとへとになった。ここは自分にとって負担が大き過ぎた。愛する友人よ、きっと君でもこのエクストラバガンザのような火山には長く留まれなかっただろう。 よりつつましく小さいにもかかわらず、この街のかつてのスケールは僕にノスタルジアをもたらし、そして都市部近郊で時間と共に老朽化しているが人が未だ居住している民家、生魚や肉の屋台が妙に服屋さんと隣接している商店街を見て回るのに1日の半分費やした。日没の頃、辺りが薄暗くなったこの場所で1組の若いカップルに遭遇した。女性は男性の肩に頭をもたせかけ、手を繋ぎながらゆっくりと商店街を切り抜け、自分達の世界に深く没頭していた。彼らが去っていくのを見ていると、看護婦フルちゃんの姿が予期せず頭をよぎり、温かさと哀愁に満たされた。疲れを感じ、ホテルへ戻ることにした。 (つづく) ◆ ユーラシア芸能t.A.T.u.情報
ロシア発世界のスーパーアイドル「t.A.T.u.」関係の情報です。(^^) ロシア・トップ10
7月第4週のMTV TOP10をお送りします。怒涛の新曲の津波、10曲中4曲が初チャートイン! (MOPA) ◆ ユーラシアスポーツ体操 JAPAN CUP 20107月3日~4日 東京体育館
第二回を迎えたJAPAN CUPが今年は東京体育館で開催された。
昨年、日本体操界においては、男子で内村航平が世界選手権個人総合初優勝、女子では鶴見虹子が日本女子43年ぶりの個人総合銅メダルを獲得し、実りのある年となった。
今大会女子は、ロシア、韓国、ベトナム、日本の四カ国で争われたが、昨年に引き続きロシアからはアリヤ・ムスタフィナが出場し、鶴見とともに注目を集めた。 今大会ロシア女子はほぼベストメンバー、世界選手権前哨戦ともなる内容だったが、塚原日本女子監督は、「ロシアとの点差は大きく感じる」と世界選手権に向け、改めて身を引き締めていた。
男子では内村航平が順当に優勝し、ロシアのベリャフスキーは4位。 (森 美和) 写真満載!「ユーラシアスポーツ」サイト特集ページもごらん下さい。 ◆ 戦争と平和を考えるシベリア抑留とは何だったのか1945年秋から1949年末までの4年数ヶ月間、私はシベリアに抑留されました。わが青春真っ盛りの時期です。その経験からか、私は、この8月8日放送のNHKスペシャル「証言記録 シベリア抑留」に出演することになりました。 飢えと寒さのなかで重労働を強いられたシベリア抑留者の労苦については、すでに多くのことが語られてきましたので、ここで繰り返すつもりはありませんが、ひとことだけ言っておきたいことがあります。それは、「シベリア抑留とは何だったのか」ということです。 第一次大戦の終了後、戦争捕虜に対する処遇について「戦勝国は捕虜を速やかに母国へ送り返さねばならない」という国際条約(ジュネーブ条約)が成立していました。だからシベリア抑留は、明らかにこの条約に違反しています。ですから「スターリンの犯罪」と決めつける人もいます。スターリンはソ連の独裁者でしたから、抑留は「ソ連国家の犯罪」と言い換えてもいいでしょう。 では、日本政府に責任はなかったのでしょうか。ありました。1945年8月9日、ソ連軍が満洲に攻め込んできたとき、関東軍の司令部の連中はいち早く安全地域へ逃亡し、数百万の在満邦人と将兵たちが置き去りにされました。私もそのうちの一人です。しかも、日本政府と関東軍はモスクワに密使を派遣し、関東軍と満洲開拓義勇軍の日本人捕虜をソ連の開発事業に使ってもらっても結構ですとの密約をとりかわしたのです。ですから、シベリア抑留は「日本政府の犯罪」の結果でもあったことは明らかです。 こうして、あの過酷だったシベリア抑留は、元をただせばソ連と日本の政府が暗黙の了承のもとに仕組んだものであったと言えるでしょう。シベリア抑留者は、言うならば「国家の犯罪の犠牲者」にほかなりません。だから最近、日本政府がシベリア抑留者への慰労金(補償金ではない)支給を決めたのは当然のことです。だが、抑留者の平均年齢は87歳。なけなしの給付金よりも、「青春を返せ」と叫びたくなるのは当然です。 (藤木) ◆ ユーラシア通信ウクライナ便り皆様、こんにちは!私は現在、ウクライナの首都キエフに滞在しております。これからは、ウクライナの様々な「今」をお伝えしていきます。 今日は、ウクライナで有名な「ダーチャ」について少しお伝えします。(キエフより南西に車で40分程度のボブリッツア市にて) 大抵はアパートや家を持っている人はダーチャも持っているようです。週末はそこでゆっくりと過ごします。 さて、車を降りると、小ぶりな黒い犬とやや中堅の白い犬が我々を出迎えてくれました。「ビリー・ソバカ!」と言って、白い犬をあやしました。最初は私を始めてみて警戒し、ワンワン鳴いていましたが、現地の人と交わっているところをみて、そのうち慣れてきていました。 目の前には、一面「緑・緑・緑」で、下をみれば、黒土が垣間見れます。あまりにも広く、雄大な穀倉地帯ウクライナを実感できます。嘘でしょ?と目を疑いましたが、なんと「山葵」が沢山、生えているではありませんか! (小野寺 茜 キエフより) 第39回全国ロシア語コンクールに参加して7月4日、東京ロシア語学院で行われた第39回「全国ロシア語コンクール」に出場しました。 「経済学における数学の応用」をテーマにスピーチを行い、その結果、まさに努力の甲斐あって「努力賞」を受賞することができました。 東京の大会は4回目の出場で、今回初めて賞を獲得することができました。 今年の出場者は19名で、関西方面からも複数の出場者がありました。出場者全員が、たいへんレベルの高いロシア語の知識、テクニックを駆使して自らの体験談や専門知識を披露され、ギャラリーのロシア語圏出身の方々をも驚かせるほどの、「超ロシア語空間」が展開されました。 少し残念だったのは、首都圏からの出場者は地元の東京ロシア語学院や東京の大学に通う方ばかりで、神奈川や埼玉、千葉といった近隣県内の大学で学ぶ学生さんや社会人の出場者がほとんどなかったことです。 来年はこのコンクールも第40回という節目を迎えます。神奈川県をはじめ、東京以外の首都圏からも多くの方が参加して、首都圏を中心に「全国ロシア語コンクール」を大いに盛り上げ、ハイレベルでの戦いを演出し、その権威を高めていくことが望まれます。 (西村 貴仁) ◆ 映画・演劇演劇カンパニーA La Place『ベンチ』(アレクサンドル・ゲーリマン作)7月10日 於:千本桜ホール(東京) 今年はチェーホフ誕生150年という節目から、チェーホフ劇は目白押し。そんな中、1983年発表の戯曲である『ベンチ』を「ロシア演劇3部作」の第一弾として選んだア・ラ・プラスの第8回公演を観た。 ある町に出張でやってきた中年男が、公園のベンチで出会った若い女を口説く。男(ユーラ)は自称バツイチ、元妻と住む娘が一人いる。一方女(ヴェーラ)は、別れた亭主との間に息子が一人。靴下工場で働いている。ユーラはヴェーラを初対面の女だと思っていたが、実は1年前にも同じ場所で逢い一夜を過ごしていた。それを知っているヴェーラは、ユーラに思い出させようとするのだが、その過程でユーラが数々のウソをついていたことが判明。ユーラの本当の名前はアレクサンドル。ヴェーラがのぞき見た彼の身分証には、離婚もしておらず、出張でこの町に来たのでもなく同じ町の平凡な運転手とあった。離婚寸前とはいえ、踏切りのつかなかったアレクサンドルは、一大決心をしてヴェーラの家へ行こうとする。すったもんだの末ヴェーラも承知するが…。 演出の杉山剛志氏は、モスクワ・モスソヴェート劇場主任演出家のユーリー・エリョーミン氏に師事、今回の作品もモスクワのスタジオ劇場の雰囲気をそのまま再現したような出来栄えだ。舞台装置は細長い白いベンチだけ。しかしこれは公園出口への道を意味し、二人の間にある心の距離でもある。衣装も含めモノトーンな舞台美術は、どことなくフォメンコ演劇スタジオを連想させるが、この作品の秀逸なところは二人の俳優による日本的な感情表現の豊かさであろう。ロシア人にとって公園のベンチは、単なる憩いの場所ではなく、さまざまな人間ドラマが生まれる場所。ロマンチック・コメディの一言では終わらないこの作品は、ペレストロイカ期の代表作として今後も演じ続けてもらいたいもののひとつだ。 (文:滝沢 写真提供:ア・ラ・プラス) 催し物情報◆ レクチャー&コンサート
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